千葉地方裁判所 昭和44年(ワ)200号 判決 1971年2月09日
原告
渡辺つねよ
ほか三名
被告
中島甚一
主文
被告は原告渡辺つねよに対し金一一二万三四七〇円、原告渡辺正道、原告渡辺正江、原告渡辺太一に対し各金七五万二三二〇円と右各金員に対する昭和四四年四月二三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決の第一項はいずれも仮に執行することができる。
事実
(請求の趣旨)
「被告は原告渡辺つねよに対し金三四〇万円、原告渡辺正道、原告渡辺正江、原告渡辺太一に対し各金一七〇万円と右各金員に対する昭和四四年四月二三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決と仮執行宣言を求める。
(請求の趣旨に対する答弁)
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求める。
(請求の原因)
1 (身分関係)原告渡辺つねよは亡渡辺三平(昭和一〇年五月四日生)の妻であり、原告渡辺正道、同渡辺正江、同渡辺太一はいずれも亡三平と原告つねよの間に出生した子である。被告は訴外中島一美(昭和二三年九月五日生)の父である。
2 (事故の発生)訴外一美は昭和四三年八月九日午後一〇時ころ自家用普通乗用車(四三年型ブルーバード、千五ほ四九九三号、以下甲車という)を運転し、千葉市新港町海岸埋立地内道路(幅員約一一メートル)を出洲海岸方面から稲毛方面に向かつて時速約六〇キロメートルで進行中、道路左側に倒れていた原動機付自転車(以下乙車という)を約二四メートル先に発見し、これを避けるためハンドルを右に切つた直後道路中央右寄りに倒れていた亡三平に気付き、狼狽してハンドルを左に切つたが間に合わず、甲車の右車輪で亡三平の胸腹部を轢過し、同人に胸腹部轢創(心臓、肺臓、肝臓損傷)などを負わせて、同日午後一一時四〇分ころ同市亥鼻町三一三番地千葉大学医学部附属病院で同人を右傷害による失血によつて死亡させた。
3 (責任原因)被告は甲車の保有者であつて、訴外一美が配管工として被告の営む水道施設工事業を手伝い、その業務のため甲車を運転するのを平素許容していたから、自賠法三条本文により損害賠償責任がある。
4 (損害)
(一) 亡三平の逸失利益一一六六万一一五七円
亡三平は左官職として左官工事請負業訴外安達喜助の専属下請に従事し、平均一か月七万七〇〇〇円(一か年九二万四〇〇〇円)を下らない収入を得ていた。亡三平の生活費はその収入と家族構成からみて収入の三割とみるべきであるから、一か年の生活費は二七万七二〇〇円である。同人(三三年)の就労可能年数はその平均余命が三八・七一年であるから、三〇年である。そうすると、同人の就労期間中に得べかりし利益の死亡時における現価はホフマン式算定法(複式年別)により年純益六四万六八〇〇円に係数一八・〇二九を乗じて一一六六万一一五七円となる。
この損害賠償請求権を原告つねよが三分の一、原告正道、同正江、同太一が各九分の二の割合でそれぞれ相続取得した。
(二) 慰藉料合計二九〇万円
原告つねよは六年未満の幼児三名を抱えたまま唯一の働き手を失つて、路頭に迷い、夫急死の衝撃で妊娠四か月の胎児を流産するなどその精神的肉体的苦痛は極めて大きく、原告らの精神的苦痛を慰藉するには原告つねよについて二〇〇万円、原告正道、同正江、同太一について各三〇万円とするのが相当である。
5 (損害の填補)原告らは自賠責保険から三〇〇万円の支払いを受けたので、これを各相続分に応じて配分し、各損害の支払いに充当する。
6 (一部請求)原告らは4の各損害額から5の各填補額を控除した各損害残額のうち原告つねよにおいて三四〇万円、原告正道、同正江、同太一において各一七〇万円と右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四四年四月二三日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
(請求の原因に対する答弁)
1のうち被告が訴外一美の父である事実は認めるが、その余の事実は知らない。2のうち訴外一美が原告ら主張の日時場所で甲車を運転し、道路中央右寄りに倒れていた亡三平を轢過した事実と亡三平が原告ら主張の日時に死亡した事実は認めるが、亡三平が甲車に轢過されたことによつて死亡した事実は否認する。3のうち被告が甲車の保有者であつて、訴外一美が配管工として被告の水道施設工事業を手伝つていた事実は認めるが、その余の事実は否認する。4の(一)の事実は知らないが、その額については争う。4の(二)の主張は争う。5のうち原告らが保険金三〇〇万円の支払いを受けた事実は認めるが、その余の主張は争う。
(被告の主張)
1 (免責事由)亡三平は飲酒したうえで乙車を運転し、事故現場の道路を稲毛方面から出洲海岸方面に向かつて進行していたが、飲酒していたため運転を誤り、道路左端に設置してあつた道路工事用立看板(以下看板という)に激突して、看板を押倒したうえ同人の通行区分帯の中央線寄り約三〇センチメートルの地点に横転し、乙車は反対の通行区分帯(訴外一美の通行区分帯)の中央に横転した。訴外一美は甲車を運転し、出洲海岸方面から稲毛海岸方面に向かい、時速約六〇キロメートルの制限速度で進行していたが、事故現場付近の道路は直線状ではあつても街路灯がなくて暗く、見通しがよくなかつたので、前照灯で前方を注視しながら進行していた。同人は前方約二四メートルの地点に乙車が進路を塞ぐ状態で転倒していたのを発見した。乙車付近の道路右端に大型ミキサー車が甲車と同方向を向いて停車し、対向車もなかつたので、同人はブレーキをかけ、中央線を越え右にハンドルを切つて乙車とミキサー車の間を進行しようとした。そうしないと甲車と乙車との衝突を避けることができなかつた。同人は右にハンドルを切つてはじめて亡三平が乙車の右斜め前方約七メートルの中央線を越えた地点に転倒していたのを発見し、ブレーキをさらに強く踏み、左にハンドルを切つて乙車と亡三平の間を進行したが、その際甲車の後輪が亡三平を轢過した。しかし、訴外一美にとつて車道である中央線を越えた地点に亡三平が転倒しているとは全く予想ができなかつたし、対向車の通行区分帯に人が転倒していることまで認識しなければならない注意義務はなかつた。訴外一美は道路右端にミキサー車が停車していたので、亡三平の右側を進行することができず、やむを得ず左にハンドルを切つたのであり、自己の通行区分帯の前方注視義務と対向車に対する注意義務を十分に尽したのであるから、事故の発生について過失はなかつた。事故はもつぱら亡三平が飲酒運転して看板に衝突し、公道に転倒していた過失によつて生じたのであり、甲車には構造上の欠陥、機能上の障害がなかつたから、被告には損害賠償責任がない。
2 (因果関係の不存在)仮に訴外一美に事故の発生について過失があつたとしても、同人は亡三平の死亡について直接原因を与えていない。すなわち、亡三平は飲酒のうえ相当の速度で乙車を運転して看板に激突し、そのため相当の距離をはねとばされ、頭部をコンクリートに強打し、頭蓋骨骨折の致命傷を受けて転倒していたのであり、訴外一美が同人を轢過しなくてもすでに生命は助からなかつた。したがつて、訴外一美が亡三平を轢過したことは直接同人の死亡原因となつていないから、被告には損害賠償責任がない。
3 (過失相殺)仮に被告に損害賠償責任があるとしても、亡三平には前記1の過失があつたから、賠償額を定めるについてこれを考慮すべきである。亡三平の過失割合は七割以上を占める。
(被告の主張に対する答弁)
1(免責事由)のうち訴外一美に過失がなかつた事実は否認する。事故現場付近は街路灯がなくて暗く、見通しが悪かつたのであるから、同人は甲車の速度を調節し、前方と左右を注視して障害物の早期発見に努めるべき注意義務があつたのに、これを怠り、漫然と時速約六〇キロメートルで進行した過失により乙車と亡三平を発見するのが遅れ、事故を発生させた。
(証拠)〔略〕
理由
1 (事故の発生)訴外一美が昭和四三年八月九日午後一〇時ころ甲車を運転し、千葉市新港町海岸埋立地内道路(幅員約一一メートル)を出洲海岸方面から稲毛方面に向かつて進行中道路中央右寄に倒れていた亡三平を轢過した事実と亡三平が同日午後一一時四〇分ころ死亡した事実は当事者間に争いがない。〔証拠略〕を総合すると、訴外一美は時速約六〇キロメートルで進行中自己の通行区分帯のほぼ中央に乙車が転倒していたのを約二四メートル前方の地点に発見してやや減速し、乙車との衝突を避けるためハンドルを右に切つて乙車の右側を通過しようとしたとき道路中央右寄りの地点に亡三平が転倒していたのを発見したので、乙車と亡三平の間を通過しようとしてハンドルを左に切り、急ブレーキをかけたが、速度が出ていたため避け切れず、甲車の右車輪で亡三平の胸腹部を轢過し、その胸腹部轢創による失血のため同人を死亡させたことを認めることができる。甲第一〇号証によると亡三平の頭頂部中央よりやや後方に左右に走る六・五センチメートルの挫割創があつて、その頭皮内面に大鳶卵大の出血があり、右頭頂骨は二・〇カケル一・〇センチメートルに楕円形の陥凹骨折を形成し、右頭頂葉にうすい蜘蛛膜下出血が存したことを認めることができるが、〔証拠略〕によると亡三平の頭部に生じた右の損傷は同人の死亡の原因となつていないことが認められ、証人宮内の証言によると亡三平には頭蓋底骨々折の損傷がなかつたことが認められる。したがつて、訴外一美が亡三平を甲車で轢過した行為と亡三平の死亡の結果との間には因果関係がある。
2 (責任原因)被告が甲車の保有者であり、訴外一美が配管工として被告の営む水道施設工事業を手伝つていた事実は当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると訴外一美は連日甲車を運転してこれを使用し、被告は父として長男の訴外一美が連日甲車を使用するのを許容していたことを認めることができ、後記のように被告主張の免責事由は認められないから、被告は自賠法三条本文により損害賠償責任がある。
3 (免責事由の有無)〔証拠略〕によると亡三平の死体の血液には〇・〇八パーセントのアルコールが含有されていたことを認めることができ、〔証拠略〕によると亡三平は飲酒して乙車を運転し、事故現場の道路左側を稲毛方面から出洲海岸方面に向かつて進行していたが、前方注視を怠つたため道路左端に設置してあつた看板に乙車の前輪を衝突させ、看板を押倒したうえこれを約八メートル前方まで移動させ、みずからは道路の中央線付近に横転してその場に静止したままになり、乙車は対向車の通行区分帯の右側部の亡三平から五ないし六メートル斜め前方の地点に横転した事実を推認することができる。そして、〔証拠略〕を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、事故現場は幅員一一メートルのアスフアルト舗装道路で、非市街地にあり、直線状になつているが、付近に街路灯がなく、事故当時は暗夜であつた。速度の制限はなかつた。訴外一美は当日午後九時五〇分ころ友人数名と三台の自動車に分乗して国鉄千葉駅前を出発し、船橋方面へ遊びに行こうとした。海岸埋立地内の道路に入つたときには同人の甲車は二台目になつていたが、事故現場の五〇〇ないし六〇〇メートル手前で同人は友人の先行車を時速約八〇キロメートルで追越し、先頭になつた。そのころ先行車や対向車はなかつた。同人は先頭になつて道路左側を時速約六〇キロメートルで進行していたが、進路上に転倒していた乙車を約二四メートル前方の地点に発見した。同人はそのとき乙車の右斜め前方の道路右側に大型ミキサー車が甲車と同方向を向いてほとんど停止の状態でいたのを認めた。そこで、同人は乙車の右側を通過しようと考えてやや減速し、ハンドルを右に切つて道路中央付近に進出したときその前方に転倒していた亡三平を発見し、ハンドルを左に切るとともに急ブレーキをかけて同人との接触を避けようとしたが、避け切れず、同人を甲車の右車輪で轢過した。
右の事実によると訴外一美は非市街地の幅員一一メートルの直線状のアスフアルト舗装道路を真夏の夜友人らと三台の自動車に分乗してドライブしていたのであつて、高速を出しがちであつたものと推認できるところ、付近には街路灯がなく、暗夜で見通しが悪かつたのであるから、前照灯を有効に使用して前方の注視を怠らず、障害物などの早期発見に努めるべきであつたといえるのに、時速約六〇キロメートルで進行して進路上に転倒していた乙車を約二四メートル前方の地点に接近してはじめて発見し、乙車の右斜め前方に転倒していた亡三平にはすぐには気付かず、瞬時まを置いてこれを発見したというのであるから、訴外一美が前方注視義務を十分に尽したとみるのは相当でない。訴外一美が前照灯を有効的確に使用していたならばもつと早期に乙車を発見できたものと推認でき、人通りのない路上に乙車が転倒しているのを発見したならば直ちにもつと減速して進路の状況を確認したうえ運転を継続すべきであつたといえるからである。弁論の全趣旨によると乙車と亡三平は車体と着衣が黒ずんでいて発見し難い状況にあつたものと推認できるが、それだからといつて訴外一美に不注意の点が全くなかつたということはできない。また、事故は亡三平が前方不注意のため看板に乙車を衝突させ、道路中央付近に転倒していたことに起因するものであつて、同人の過失は小さくないといえるけれども、そのゆえに訴外一美の不注意の点が消失するわけのものでもない。したがつて、訴外一美には過失があつたといえるから、被告の免責の主張は理由がない。そして、双方の過失割合は亡三平が六割、訴外一美が四割とみるのが相当である。
4 (身分関係)〔証拠略〕によると原告つねよは亡三平(昭和一〇年五月四日生)の妻であり、原告正道(昭和三七年一〇月一一日生)、同正江(昭和四〇年六月一四日生)、同太一(昭和四二年一二月一九日生)は亡三平と原告つねよの間の長男、長女、二男であることを認めることができる。
5 (損害)
(一) 亡三平の逸失利益四七八万〇四三〇円
〔証拠略〕によると亡三平は左官職人で、昭和四一年八月ころから左官業を営む訴外安達喜助の専属の下請をなし、その余暇に自分で注文を受けた左官の仕事をしていたが、訴外安達からは一か月およそ七万五〇〇〇円ないし八万五〇〇〇円の収入を得ていたところ、その昭和四三年五月、六月、七月の収入はそれぞれ七万八〇一〇円、七万九五五〇円、七万九一八〇円であつたこと、亡三平の生活費はその収入の約三割を占めていたこと、同人は健康体でほとんど休まず働いていたこと、以上の事実を認めることができる。右の事実によると亡三平の月収は右の三か月の収入を平均した七万八九一〇円を下らなかつたものと認めることができ、その生活費はその三割にあたる二万三六七〇円とみるのが相当である。一か年の純益は六六万二八八〇円となる。昭和四一年簡易生命表によると三三年の男子の平均余命は三八・七一年であるから、亡三平の職種を考慮しても、同人の就労可能年数は六三年まであと三〇年あつたとみるのが相当である。同人が甲車に轢過される前に致命傷を負つていたとの事実を認めるにたりる証拠はない。そうすると、同人の就労期間中に得べかりし利益の死亡時における現価はホフマン式算定法(複式年別)により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、六六万二八八〇円カケル一八・〇二九の算式により一一九五万一〇六〇円となる。亡三平の過失を考慮し、その六割を控除した四七八万〇四三〇円を被告に賠償させるのが相当である。
この損害賠償請求権を原告つねよが三分の一、原告正道、同正江、同太一が各九分の二の割合でそれぞれ相続により取得したといえる。
(二) 慰藉料 合計一六〇万円
〔証拠略〕によると原告つねよは唯一の働き手であつた夫を急に失つて精神的に大きな打撃を受け、妊娠数か月の胎児を流産したうえ幼児三名の面倒も見きれない精神状態となつて、生計にも困窮し、収入の途もないまま実姉の経済的援助を受けてようやく生活していることを認めることができ、原告らはいずれも亡三平を失つて精神的苦痛を受けたことが認められる。その精神的苦痛を慰藉するには、事故の態様、亡三平の過失その他諸般の事情を考慮し、原告つねよについて五二万円、原告正道、同正江、同太一について各三六万円を賠償させるのが相当である。
6 (損害の填補)原告らが自賠責保険から三〇〇万円の支払いを受けた事実は当事者間に争いがない。これを原告らの各損害賠償請求権の額に応じて配分し、その各損害の支払いに充当する。原告つねよについて九九万円、原告正道、同正江、同太一について各六七万円をそれぞれ充当することとなる。
7 (結論)そうすると、原告らの損害の残額は原告つねよが一一二万三四七〇円、原告正道、同正江、同太一が各七五万二三二〇円となる。したがつて、原告らの請求は右の各損害残額とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四四年四月二三日(これは記録上明らかである)から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 加藤一隆)